江戸時代に人気を博した歌舞伎(かぶき)の役者文様。
何種類もの文様を組み合わせて、歌舞伎役者を表現したりと粋なものが多いです。
同じように悟り絵は、複数の文様を合わせて縁起のよい読みをしたり、意味をもたせます。
では、もっと詳しく調べてみましょう!!
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三枡文(みますもん)
大中小の枡(ます)を三つ入れ子にして上から見た形を三枡文といい、初代・市川団十郎(いちかわだんじゅうろう)が稲妻文(いなずまもん)から考案して大評判となり、一門の定め紋としました。
七代目団十郎は三枡文を当時の文化年間で流行であった縞・格子柄と組み合わせて、三枡格子(みますこうし)を構成しました。
半四郎格子(はんしろうこうし)
麻の葉(あさのは)文様はふつう紅色で染められていましたが、文化6年に五代目・岩井半四郎(いわいはんしろう)が八百屋お七(やおやおしち)に扮した際に、浅葱色(あさぎいろ)の麻の葉鹿の子を着用していて、爆発的に流行しました。
それ以降、浅葱色のものは半四郎鹿の子(はんしろうかのこ)と呼ばれます。
芝翫縞(しかんしま)
文化年間に初代・中村芝翫(なかむらしかん)である三代目・中村歌右衛門(なかむらうたえもん)が四本縞の間に、環つなぎをおいて構成した文様です。
三津五郎縞(みつごろうしま)
文化・文政期を代表する名優の三代目・坂東三津五郎(ばんどうみつごろう)の名前からとった縞文様で、三・五・六本の縞を縦横に交差させて「三五六(三津五郎)」と読ませます。
六弥太格子(ろくやたこうし)
嘉永年間に八代目・市川団十郎(いちかわだんじゅうろう)が「一の谷武者絵土産」の岡部六弥太(おかべろくたや)に扮したときに裃(かみしも)にこの文様を使い、名前が定着しました。
一般的には手拭いや浴衣の文様に取り入れられました。
市松文様(いちまつもんよう)
霰地(あられじ)から起こり石畳(いしだたみ)と呼ばれた文様ですが、寛保元年に佐野川市松(さのがわいちまつ)が小姓役の袴に用いたところ、女性はこぞって小袖(こそで)にしたほど大流行しました。
亀蔵小紋(かめぞうこもん)
九代目・市松羽左衛門(いちむらうざえもん)がまだ亀蔵(かめぞう)と名乗っていた頃に、当時流行していた小紋に大小の渦巻きを染めたものが人気を博し、亀蔵文様として盛んに取り入れられました。
菊五郎格子(きくごろうこうし)
縦四本と横五本の縞の格子柄の間に「キ」と「呂」を入れて「キ九五郎(菊五郎)」と読ませます。
文化・文政期の人気役者であった三代目・尾上菊五郎(おのえきくごろう)がライバルの七代目・市川団十郎(いちかわだんじゅうろう)の「三枡格子(みますこうし)」に対抗して考案したとされます。
高麗屋格子(こうらいやこうし)
寛政期の名優であった四代目・松本幸四郎(まつもとこうしろう)が「鈴ヶ森の長兵衛」に扮したときの合羽(かっぱ)の文様で、その屋号から高麗屋格子と呼ばれ大いに流行しました。
鎌輪ぬ(かまわぬ)
「鎌(かま)」と「〇(わ)」と「ぬ」の字で「構わぬ」と読み、元禄時代に「水火も厭わず身を捨てて弱い者を助ける」という心意気を示す男伊達(おとこだて)が好んで来たのが始まりです。
一時廃れましたが、後に歌舞伎役者である七代目・市川団十郎(いちかわだんじゅうろう)が舞台で着て評判になりました。
斧琴菊(よきことをきく)
「斧(よき)」と「琴(こと)」と「菊(きく)」を合わせて「良き事聞く」と読ませます。
三代目・尾上菊五郎(おのえきくごろう)は自分の芸名の菊の文字が入った吉祥文様ということで大変愛用しました。
まとめ
皆さん、意味を予想しながら見ていただけましたか?
江戸の心意気が伝わる粋な文様が多いですね。